昔の写真を整理していて、2013年と2014年のフォルダを久しぶりに見返した。
そこには、スロットの写真もいくつか残っていた。
バイオハザードで大きく出たときの画面。
モンスターハンターで9999枚まで出たときの画面。
ほかにも、普段ならわざわざ写真を撮らないような私が、思わずスマホを向けた場面がいくつかあった。
写真だけを並べて見ると、
ずいぶん楽しそうにスロットを打っていたように見える。

実際、楽しかったのだと思う。
だからこそ、これだけ長い間やめられなかった。
ただ、今回写真を整理していて、別のことにも気がついた。
写真が多いわけではない。
むしろ、少ない。
当時の私は、金さえあればかなりの頻度でパチンコ屋に通っていた。
バイトが22時に終われば、閉店までのわずかな時間を打つために急いで店へ向かうことさえあった。
そんな生活をしていた割には、
2013年、2014年と遡っても、スロットの写真はそれほど残っていない。
私はもともと、何でも写真に残すタイプではない。
だから、写真を撮ったのは相当嬉しいことが起きたときだったのだと思う。
たくさん出た。
珍しいものを引いた。
普段なかなか見られない画面が出た。
そういうときだけスマホを取り出した。
逆に言えば、
ほとんどの日には、写真を撮るようなことが何も起きていなかった。
もちろん、負けた日に写真なんて撮らない。
数万円負けて店を出るときに、
「今日も負けました」
と記念撮影するような趣味はなかった。
残るのは、勝った日の記録ばかりになる。
だから十年以上経って写真フォルダだけを見ると、
かなり景気がいい。
数千枚。
珍しい演出。
派手な画面。

その瞬間だけを切り取れば、ギャンブルで楽しく遊んでいた若者にしか見えない。
でも当時の私は、ほぼ毎日のように打っていた。
それなのに、二年間探して出てきた目ぼしい写真がこの程度しかない。
今見ると、
まあ、順当に負けていたんだろうなと思う。
大きく勝った日は、少しだけ生活も変わった。
その日や翌日は気が大きくなる。
普段より少し高いものを食べたり、
ちょっといいラーメンを食べたりする。
別に何万円もするような贅沢ではない。
それでも、金があることが嬉しくて、少し使う。
そして次の日も、その次の日も普通にギャンブルをする。
気づけば、せっかく勝った金は三日も持たずになくなっていた。
そのたびに、
もう少し別のことに使っておけばよかった。
とは思う。
でも次に勝てば、また同じことをする。
金が残らないのは、負けたときだけではなかった。
勝ったときですら、残らなかった。
今回、十年以上前の写真を見返しても、
特別に強い感情が湧いたわけではない。
「こんな時もあったなあ」
というくらいだ。
ただ、
写真に残っている出来事と、
写真に残らなかった何百日ものほうを比べてみると、
当時の生活が少し違って見えた。
勝った日は残っている。
負けた日は残っていない。
そして、
写真に残らなかった日のほうが、圧倒的に多かった。
それでも当時の私は、
次に写真を撮れるような日が来ると思って、
また店へ行っていた。
