祖母が友人への残りの借金を返した。
そのことを知ってから、
私は家に帰れなくなった。
祖父母からは、
何度も電話が来ていた。
でも、
出なかった。
何を話せばいいのか、
分からなかった。
ちょうど、
年末年始だった。
会社は休みに入り、
仕事の都合で使える施設に、
一部屋だけ泊まれる場所があった。
本来、
何日も居続けるような場所ではない。
それでも、
私はそこに泊まった。
10日ほど。
もしかすると、
それ以上だったかもしれない。
その間、
ずっと部屋にいたわけではない。
年末には、
中学校時代の同級生たちから、
京都へ行こうと誘われた。
当時、
特別仲が良かったわけでもない。
それでも、
私は参加した。
家に帰りたくなかったことも、
大きかったと思う。
もちろん、
旅行に使える金なんてない。
それでも私は、
別の方法でどうにか金を作った。
その方法については、
ここでは詳しく書かない。
ただ、
祖父母に十数万円を払わせ、
家にも帰れなくなっている最中なのに、
私はまた金を作って、
旅行へ行った。
楽しかったかと言われると、
あまり楽しかった記憶はない。
大きな問題を抱えたまま、
それほど親しくもない人たちと、
京都にいる。
気持ちは、
ずっと落ち着かなかった。
それでも、
自宅にいるよりはよかった。
そんな感覚だったのかもしれない。
年末年始の休みが終わると、
会社の施設にも、
居続けることはできなくなった。
仕事が始まる。
仕方なく、
家に戻った。
ただ、
戻ったからといって、
普通の生活に戻ったわけではない。
自宅では、
兄と二人暮らしだった。
なるべく、
顔を合わせないようにした。
帰る時間を遅くする。
朝は早く出る。
家にはいる。
でも、
できるだけ誰とも会わない。
そんな生活をしていた。
祖父母とも、
しばらく話をしなかった。
電話にも出ず、
家にも行かなかった。
でも、
いつまでもそのままにはできない。
しばらくして、
ちゃんと話をしなければと思い、
祖父母の家へ向かった。
そのとき、
激しく怒鳴られた記憶はない。
どちらかといえば、
諭された。
連絡だけは取れるようにしてほしい。
何かあっても、
連絡がつかなければ、
どうしようもない。
そんなことを言われたと思う。
学費のときも、
祖父母に助けてもらった。
そして今度は、
友人への借金まで、
代わりに払ってもらった。
それでも私は、
問題が起きるたびに、
向き合うより先に、
逃げることを選んでいた。
金がなくなる。
連絡を無視する。
家に帰れなくなる。
そして、
また別の場所へ逃げる。
このころには、
借金の問題は、
支払額だけではなく、
自分が普通に生活できる場所まで狭くしていた。
